かぎにっき -Key Log-

無駄という無駄が排除されこれ以上無駄なく精錬された無駄なことしか書かない無駄なブログです

飴玉を授業中に舐めるというエキサイティングな遊び

‪飴玉を舐めたまま授業を受ける背徳感をもう1度味わいたいです。

 

この遊戯をやったことがあるでしょうか?

 

授業が始まる直前、始業のチャイムがなる寸前、口内に飴玉を放り込みます。授業中はしばらく飴玉を舌先で弄ぶのです。コロコロと糖分を口の中に広めるように、満遍なく飴玉を転がします。しかしそれを教師にバレないように行わなければなりません。バレたらどうなるか想像はしかねますが、およそ指の1本や2本で済むとは思えません。

 

この甘味と恐怖のコラボレーションがたまらないのです。今回は大丈夫だった。でも次はどうなるかわからない。バレたら人生が終了する。それでもバレずに飴玉を舐めきった時の快感は計り知れないからこそ、このギャンブルを続けてしまいます。

 

飴玉の最後の一片が口内で溶けきったとき、心の中でほくそ笑みます。勝利の快感に酔いしれ、恍惚の表情を浮かべます。普段は偉そうにしている教師に勝利を収めたことに満足します。

 

それは決して両者合意の元行われるスポーツマンシップに則った綺麗な勝負などではなく、極めて一方的なバトルです。こちらが勝手に勝負を始め、こちらが勝手に勝利し、こちらが勝手に勝ち誇ります。win-zeroの関係です。

 

社会的には極めて生産的と言えます。代わりに不幸になる人なんていない。勝手にひとりでにニマニマ出来るのです。

 

授業中いきなりニマニマしてニヤニヤして「僕の勝ちだ」とかブツブツ言っていた私はさぞかし気持ちが悪かったでしょう。およそ人間の類とは思えない行動です。

 

 

 

 

 

 

 

この飴玉遊び、簡単に思えるようでしょうが、授業中に当てられたら万事休すです。実際にやってみると分かりますが、運に自分の命を任せるというのは、なかなかにスリリングなのです。

 

もしも当てられたらということをを考えて、飴玉を含んだまま流暢に話す練習をする場合もあります。食べながら喋らないようにしなさいと幼少から言われてきたのに、その教育の逆をゆく反骨精神。まさにギャンブラー。

 

初めはもごもごと、拙い発音しか出来ませんでした。「先生」は「ヘンへー」。「わかりました」は「ははりまひた」。「x=-b±√b^2-4ac/2a」は「えっふふいこーるまいなふびーぷらふまいなふるーほびーにぼーまいんfべいvkfdん」としか発音できませんでした。しかし、この遊びを12年間に渡って継続的に行ってきた私は、最終的には早口言葉までもネイティブに発音できたと記憶してます。

 

また、教師に万が一バレて口の中を見せろと言われたときのイメージトレーニングも怠りません。舌を高速、いや光速で動かして舌の下に飴玉を避難させたり喉の奥に一時保管したりする術を身につけていました。あの頃の私の絶技はもはやマジシャンの域に達していたことでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この遊び、改め勝負を、最近懐かしく思います。もう1度あの熱く、激しく、そして限りなく無駄なあの勝負をしたい。そんなことを思う毎日です。あの情熱はもう蘇りません。

 

この勝負をすることが出来るのは小学生から高校生までの間です。人生80年のうち、たった12年しかないのです。なんて刹那的な遊び。

 

今、高校生以下の全員に言いたい。君たちが今過ごしているその時間は、断じて恋愛や勉強などに費やすべき時間じゃない。もっとかけがえのない、今しかできないことをやるべきです。

 

つまり、授業中に飴玉を舐めることに青春を捧げるべきなのです。

 

飴玉を、舐めるのです。授業中に、教師の目をかいくぐって、飴玉を貪り尽くすのです。今はそんなことなんの価値もないように思えますが、その時期にしかできないことなのです。

 

恋愛や勉強なんて大人になってからでもできます。40歳超えて甲斐甲斐しく23歳の若い女性と結婚するおっさんだっています。定年になっても毎日図書館にあしげく通い、毎日勉強を怠らない勤勉なおじいさんだっています。

 

けれど20歳を超えて飴玉を授業中に舐めることができる大人は1人もいません。どんなに偉い政治家になったって、どれだけのお金を稼いだって、授業中に飴玉を舐めたいという願いは叶わないのです。

 

私は後悔しています。もっと舐めておけばよかったと。授業中に飴玉を、親の仇のように舐めまくるべきだったと。君たちはまだ、間に合います。どうか私と同じ後悔を、しないで頂きたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

寝ても覚めても飴玉のことだけを考え、うまく舐める練習をすることこそが、青春です。タバコを咥えてる暇があったらペロペロキャンディを舐めましょう。SNSに興じる時間があったら飴を買うお金をバイトで稼ぎましょう。

 

四六時中飴について考えてください。朝昼夕全ての食事は飴玉。3時のおやつも深夜の夜食も全て飴。家の材質は飴だしペットは飴。サンタに頼むものも誕生日に貰うものも全て飴。超絶怒涛の飴嵐です。

 

飴が切れたら大暴れします。もっと飴をよこせとわめき散らしながら物を殴り、しかし自分の手のダメージの方が著しく、それによってさらに怒りを増幅させて当たり散らします。暴君です。

 

だんだんと全ての物が飴に見えてきたあなたは何でも舐めるようになります。床、椅子、テレビ、教師。全ての物の味を確かめ、溶けないことを確認して初めてそれが飴でないことを知ります。

 

そして世の中に飴が余りにも少ないことに怒りを覚え始めます。これも舐めても溶けない。これも甘くない。飴じゃない。飴じゃない。飴じゃない。どうして飴じゃないの。

 

飴が欲しい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴飴

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そうなったら飴細工職人への道はもう少しです。

 

頑張ってくださいね☆

筋トレはよく考えるとすんごくハードルが高い行動

最近筋トレをしようと試みています。

 

筋肉トレーニングという名前であるからには、やればやるほど成果があるんだろうと、毎日コツコツとやっていればいずれムッキムキになるのだろうと、そんな甘い考えのもと1日20回ばかりの腕立て伏せと1日10回ばかりの腹筋ローラーでのコロコロを行っておりましたが、全くもって体に変化が訪れません。筋肉の「き」の字もないです。

 

おかしい。当初の予定では少しずつでも筋肉は増える予定だったのに。筋肉量が微動だにしません。動かざること山の如し。

 

毎日鏡を見てると微々たる筋肉量の変化に気がつかないけれど、1週間ぶりくらいに自分を見たら以外とムキムキだったりするのだろうかと思い、毎日体を写真に収めて見比べて見ましたが、やっぱり変わってないです。擬音でいうなら間違ってもムキムキではない。ヒョロヒョロ。ペラペラ。こんなんじゃあゴリラとのタイマンに勝てっこないです。

 

というわけで本腰を入れて筋肉の肥大するメカニズムを調べて見たところ、筋肉を肥大させるには現在の筋肉の限界を超えて筋肉を酷使しなければならないということが分かりました。その傷ついた筋肉が損傷を修復するときに筋肉は肥大するのだとか。

 

なるほど、限界を超えろ、と。

 

毎日自分の力を超えた運動を行なって俺を痛めつけなければ俺は増えないぞ、と。

 

そう、仰るわけですね。私の筋肉様は。

 

これ、相当ハードルが高くないですか?

 

限界を超えるって、漫画の主人公ならそれこそ日常的に行っていることですけども、私は現実の人間なわけで、それこそリアリスティックで、自分の力を超える何かに挑むことは普段決してしないような隠の者であるわけで。

 

そんな私にとって限界を超えるというのは想像もつかない、創作物の中でしかお目にかかることのない出来事なんですが、それを日常的に行わなければ筋肉の肥大は望めないようです。

 

心が折れかかっています。筋トレがそんなに難易度の高いものだとは思ってもいませんでした。世の筋肉マッチョメン達は毎日自分の限界を超えているようです。今までは憧れの視線を送っていましたが、これからは尊敬の意を込めなければならないようです。

 

正直私にとっては毎日限界を超えるまで筋肉トレーニングを行うよりもテストなどで良い成績を収める方が簡単です。なにせテストは自分の実力より高い点数が出ることはほとんどない。今までの自分の努力や成果をそのまま出せば点数につながるからです。

 

対して筋トレは自分の限界を超えることを要求される。これは並大抵の努力でできる事ではありません。それこそ極限的トレーニング。

 

人は誰しも自分の実力以上を発揮することは難しく、プレッシャーになるのです。

 

 

 

 

 

 

この筋トレの話に似たようなものがあると思いました。女性の化粧です。

 

女性は自らの容姿をよりよく見せるために化粧を施します。これは、他人が彼女らに容姿を美しくすることを期待していることが原因です。

 

生まれ持った顔、すなわちスッピンで外出することが出来たならどんなに楽か分からないけれど、女性は皆化粧をして出かけます。社会がスッピンを否定しているからです。

 

これはまさに自分の実力以上を期待されている例です。日常的に限界突破を強いられています。世の女性は悟空なんて目じゃないほど、恒常的に自分の限界を超えているのです。

 

 

 

 

 

 

さらに、これと似たようなものに、動物園のパンダがあります。

 

彼らだって生物です。たまには一日中寝ていたい時もあるし、客に愛想を振りまくのがめんどくさい時もあります。

 

あぐらかいて、大欠伸して、目をショボショボさせながらだらけたい日もあるのです。

 

しかしそれは許されません。客はこちらの事情など考えることなく、毎日パンダを見にきます。彼らが期待しているのは不貞腐れているパンダでもやさぐれているパンダでもなく、笹を食べてハキハキ動きコロンとあざとく腹を見せて転がるVery cuteなパンダなのです。

 

パンダ達は期待に応えます。客のニーズに、需要に、その態度を持って応えます。ある意味では自分の限界を超えることを強いられています。自分がやりたいからやるのではなく、期待されているからやる。いずれ仮面を被り続ける毎日に疲れ果て、考えることを放棄します。

 

何も考えず、ただひたすらに笹を食べ、ピョンピョン跳びまわり、腹を客に見せながらコロンと転がるのです。

 

彼らの苦労は計り知れませんが、対照的に、その可愛さたるや、類を見ません。

 

 

 

 

 

 

また、可愛いといえば、普段は偉そうにしている部長のハンカチが花柄だったら可愛いと思いませんか?

 

いつも部下を怒鳴り散らし、頭に血を登らせることが趣味かのようにしている部長の、ハンカチが、花柄。これは可愛いと言わざるを得ない。パンダ級の可愛さです。

 

見事にギャップを使いこなしています。怒髪天を貫きがちでいつも怖いと思っていた部長が花柄のハンカチーフを所持している。奥さんに持たされたのでしょうか。尻に敷かれている様子が見て取れます。可愛い。

 

まさか奥さんに持たされたのではなく、自分で花柄をチョイスしたのでしょうか。いそいそと、毎日身支度をする際、花柄のハンカチをスーツのポケットに入れているのでしょうか。そうだとしても、可愛い。

 

普通、可愛いという概念は選択の末に得られる報酬です。特定の動作をしたから可愛いとか、特定の言葉を言ったから可愛いとか、何か行動を起こした結果、可愛くなるのです。

 

しかし花柄ハンカチを持った部長は違います。奥さんに持たされていようとも持たされていなくとも可愛い。不変の可愛さです。可愛さの絶対値です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

脱線しましたね。少し。

 

初めは「筋トレってむずくない?」ということを書きたかっただけなのですが、なんだかよく分からない方向に話が膨らんで収集がつかなくなりました。

 

ここで強制終了しておきたいと思います。

 

道端に落ちているおっぱいに人類は抗うことが出来ない

例えばの話です。

 

道端におっぱい落ちていたらどうしますか?

 

純粋なおっぱいです。不純物を一切含まない純度の高いおっぱいです。道のど真ん中に忽然と現れてなんだかプルンプルン揺れている、人類が愛して止まないあれです。それがなんの脈略も伏線もなく触れる位置に現れたら、どうしますか?

 

 

 

 

 

あの、この憶測が間違ってたら恐縮なんですけど、

 

揉みますよね?

 

揉みしだきますよね?

 

あなたの性別、性格、場所、時間、その他一切の条件に関わらず、

 

極限まで揉みますよね?

 

 

 

 

 

 

いえ、気が狂ってる訳では無いのです。私は極めて正常です。

 

一種の思考実験なんですよ。

 

 

 

 

 

 

例えば、男二人が一人の女を巡って争っているとします。絵に書いたような三角関係で、女は「私のために争わないで」という常套句をのたまい、男達は今にも決闘とかしそうな勢いです。

 

その状況下で、3人の前に突如として一対のおっぱいが出現したとします。

 

3人はたちまち争いを止め、一心不乱におっぱいを揉みしだくと思うのです。ほかの一切合切を視界から排除し、かつてない集中力でひたすらに揉むと思うのです。

 

 

 

 

例えば、常に争っている2つの小国があるとします。考え方が真逆で宗教も異なり、それぞれがお互いの国の物資を欲してる2国は自然と戦争をおっぱじめます。

 

戦争は長く続き、国の疲弊が無視出来ないほどお互い消耗しています。兵士の士気も下がり、さらにそれが原因で決定的な打撃をお互い与えることが出来ず、戦争は永遠に続くかのように思われています。

 

そんな戦争続きのある日、2国の国境上に突如としておっぱいが出現するとします。

 

兵士たちは武器を捨て、おっぱいを揉むための行列を作ると思うのです。

 

そしておっぱいという共通財産をシェアし合うために、2国は平和同盟を結ぶと思うのです。

 

 

 

 

 

 

例えば、地球からおよそ5000万光年離れている星から宇宙人が飛来してきたとします。

 

彼らは地球のエネルギーに興味を示し、これらを母星に持って帰るため侵略活動を始めます。

 

圧倒的な技術力の差により人類はなすすべもなく蹂躙されていきます。

 

そんな人類終末寸前、道端に落ちているおっぱいを宇宙人に献上したとします。

 

その感触と言いようもない魅力に満足した宇宙人は全宇宙におっぱいを広めるため、侵略活動を即刻やめると思うのです。

 

 

 

 

 

要するに、人間はおっぱいという物質には決して抗えないのです。何よりもおっぱいを優先する。それが人間の性なのです。

 

このことから、以下の不等式が導けます。

 

おっぱい > 人間 −①

 

また、動物ヒエラルキーにおいて人間はその頭脳と器用さで頂点にたちました。動物界でも屈指の野性を有するゴリラでも、人間が機関銃や核爆弾を持ち出せばひとたまりもないです。

 

このことから、以下の不等式が導けます。

 

人間 > ゴリラ −②

 

しかし、ゴリラは道端に落ちているおっぱいを見ても無関心でしょう。敵に値しないものだと判断しているものと思われます。

 

よって、以下が成り立ちます。

 

ゴリラ > おっぱい −③

 

 

 

 

①、②、③より、おっぱいと人間とゴリラは3すくみの関係になっていることが証明されました。おっぱいは人間より強く、人間はゴリラより強く、ゴリラはおっぱいより強いです。

 

これは火、水、草や蛇、蛙、蛞蝓やグー、チョキ、パーなどと同じ三つ巴です。

 

おっぱい、人間、ゴリラは次のポケットモンスターの御三家として登場するかもしれません。

 

初めてのポケモンを博士から譲り受ける日。主人公の前に置かれたモンスターボールの中にはフシギダネゼニガメヒトカゲではなくおっぱいと人間とゴリラ。3匹の中から1匹だけ連れて行けるとなったら連れて行くのはもちろん…

 

 

 

 

 

おっぱいですよね。

 

やっぱり、おっぱい。

 

どうあがいてもおっぱい。

 

自動的におっぱい。

 

全てはおっぱいに収束する。

 

おっぱいは全てを包む。

 

おっぱい無くして改革はありえない。

 

おっぱいを覗くとき、おっぱいもまたこちらを覗いているのだ。

 

ニュートンはおっぱいが垂れているのを見て重力の存在に気づいた。

 

おっぱいがなければ、おっぱいを揉めばいいじゃない。

 

アップルパイよりも、おっぱいが食べたい。

 

なぜ揉むか、そこにおっぱいがあるからさ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ああ…

 

疲れているようです。この記事を読んだ記憶は消去しておいてくださいお願いします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ドンキホーテの洗脳

私は食料から雑貨まで、最寄り駅のドンキホーテで購入しています。

 

安さと品揃えの豊富さは他の追随を許しません。私は毎日何かをもとめてドンキホーテを訪れるのです。

 

ただ、そんなにも毎日行っているせいか、最近幻聴が聞こえます。

 

自宅にいても聞こえてくるのです。あの歌が。

 

 

 

 

 

ドンドンドン~♪ ド~ンキ~♪ ドンキ~♪ ホ~テ~♪

 

 

 

 

寝ても覚めても脳内ドンキです。洗脳されつつあります。気がついたら食器を洗いながら口ずさんでいます。夢では青いペンギンが驚安!と叫んでいます。何が驚安なのか、何が目的なのか、その他一切の彼の行動の理由は不明です。

 

広告としてはドンキホーテの完全勝利と言えます。私の脳内にドンキホーテを巣くわせることに成功したのです。

 

ただ、自ら足を運んでドンキにおもむき、あの歌を聴いている時間は一日30分ほどだけの私でさえこの有様です。労働により強制的に9時間ほどドンキで働いている店員さんともなると、洗脳の深さが計り知れません。

 

毎日毎日同じBGMを一日中聞かされ、耳をふさぐことさえ許されない。どの季節だろうと関係なく流れてくるあの曲のせいで、現在の季節も分からないでしょう。

 

その歌詞が、店員の精神を蝕んでいきます。以下週8でドンキホーテで働いている店員さんの胸中を想像してみました。

 

 

 

 

 

オモイ~♪ タアッタラ~♪ イーツーダアッテ~♪ ドンキ~♪ ホーテデ~♪ マーチーアーワセ~♪

 

待ち合わせ…?俺は誰かと待ち合わせをしているのか?いや、そんなはずはない。俺はこの店にバイトとして、従業員として来ているんだ。断じて誰かと待ち合わせなどしていない…!でも…。この歌が…。何度でも待ち合わせというフレーズを歌う。思い立ったら待ち合わせ…?思い立ってないだけなのか?俺は何か大切な物を見逃している…?まさか…客への接客を待ち合わせと表現しているのか…!決してめんどうくさらずに、こちらから客の来訪を待っているような、そんな接客を心がけろということか!

 

 

 

 

キブンハ~♪ タカーラサーガッシーダネ~♪

 

気分は宝探し…?いや、そんなことはない。俺は機械的に商品を宣伝しレジを操作する社会の歯車としてこの店で働いている。百歩譲っても味わえるのは歯車の気分だ。なのになんだ…?この歌の陽気さは…?まさか、歯車も宝だと言うのか…?部品の1つだとしても、無ければ社会の循環が滞る、大事なパーツとして、歯車であることを誇れと言っているのか…?ならば誇ろう。歯車であることを。部品の1つであることを。ドンキで物を買った人が幸せになれるよう全力を尽くそう。

 

 

 

 

ボリュームマンテン♪ ゲキヤスジャングル~♪

 

ボリューム…?ボリュームとは何を指す?単純に商品の品揃えか?お得パックの内容量か?いや違う。もっと深い意味があるはずだ…。まさか、人間の底知れない欲?手に入れれば入れるほど物を欲する現代人への警告なのか?そしてジャングル…?急に出てきたジャングル…?恐ろしいほど唐突なジャングルだ…。これはまさか、原始への回帰を示している…?文明の発展に伴って増幅した人間の欲を捨て、今一度食べて生きていければ万々歳という野生の生活を思い出せということか…?深い。なんて深い歌詞なんだ…。

 

 

 

 

ハーヤイ~♪ モノ~ガチ~♪ パーラーダーイス~♪

 

早い者勝ち…。これは物事の真理を表しているな。順位付けは悪。みんなで一等賞。これらは平和ボケした現代人のまやかしに過ぎない。求められるのは数字、獲得、意欲なのだ。そのためには何より速度が大事である。欲しいものは何が何でも誰よりも早く手に入れろ。そういうことか。思えばいつからか俺は後手に回っていた。そんな俺に足りない物を教えてくれているのだな。この歌に、この店に、出会えたことを、感謝する。

 

 

 

 

 

 

ナンデモソロッテベンリナ~♪ オミセ~♪

 

何でも…。この歌は、このドンキホーテという店には何でも揃っていると言っている。人間の欲、夢、希望、そして、絶望も。どれを手に入れるのかは自分次第だ。自分の選択1つ1つが未来を作っていく。時には間違えることもあるかも知れない。間違えない人間なんていないのだから。でも後悔する必要は無い。輝かしい未来は無限大に広がっているのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

ドンドンドン~♪ ド~ンキ~♪ ドンキ~♪ ホ~テ~♪

 

ドンキ万歳!ドンキ万歳!ドンキ最高!!!!!!!!!!!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後彼の姿を見たものはいません。何を言っているのか自分で分からなくなってきたのでドンキホーテで頭を冷やしてきます。

 

ありがとうございました。

 

バレンタインにむやみやたらにチョコの女体盛りを期待することを止めましょう

ネットの片隅でこんにちは。愛と上場企業だけが友達の鍵泉です。

 

世間はふわふわしたバレンタインの雰囲気に包まれています。ここぞとばかりにふわついております。コンビニまでもがチョココーナーを設ける有様で、女性の皆様は血を血で洗うチョコバトルロイヤルの真っ最中でしょう。

 

イベントは嫌いじゃありません。年に1度しかないバレンタインなので企業戦略だとか騒ぐ人もいますが、どうせなら便乗した方が楽しい派です。

 

踊る阿呆に見る阿呆。同じ阿呆なら踊らにゃ損、です。踊ってやりましょう。「魚とチョコを一緒に食してみた」という動画でユーチューバ-でもデビューしようかと考えております。考えているだけなのに、吐き気を催します。

 

 

 

 

 

 

 

 

まあ私が阿呆なことを言っても、世間的にはバレンタインというイベントは妻や恋人からチョコをもらう日です。世のカップルや夫婦の男性側は、2/14までドキドキワクワクが続くことでしょう。

 

しかし世の女性は勘違いをしています。このドキドキワクワクはチョコを貰えることに対するものではありません。その正体は、彼女または妻がチョコを自らの身体にかけて「私を召し上がれ」してくれることへの期待です。いつでも食べられるチョコなんかよりも、チョコを口実とした相手への肉欲こそが男の鼓動を高鳴らせるのです。

 

私も小学校に入学した以降は毎年のように女性の裸体チョコを妄想していました。もはや痴女でもなんでもいいから「私を召し上がれ」してくれと願っていました。

 

しかし待てども待てども夢のシチュエーションは訪れません。いつまで経っても実現しないことを不思議に思いながら、今日まで希望を捨てきれずにいました。

 

 

 

 

 

 

なぜ「私を召し上がれ」は現実では起こらないのか。ずっとこの謎を解き明かそうと考えていたのですが、その理由がついさっき分かりました。女性側のハードルが思ったよりも高いからだと思われます。今まで全く考えつきませんでした。

 

これまでは、「別に身体中にチョコを塗って身体ごとプレゼントしてくれても良いじゃないか。ケチだなあ。」などと傲慢極まりない愚かな考えをしていましたが、私が恋人ないしは妻にホワイトデーは全裸で「私を召し上がれ」して欲しいと言われたらどうするか、と考えてみたのです。

 

びっくりするくらい嫌でした。なんなら、どん引きしました。空想の恋人または妻の性癖に恐怖し、別れを考えるまでに至りました。

 

チョコなんて身体に付いたらベトベトで不快なことこの上ないでしょうし、全裸になって自分の身体にチョコをかけたりせずに普通にチョコを食したいし、食欲と性欲を同一視する歪な欲の発散方法に恐怖さえ覚えました。

 

相手の気持ちを考える。そんな小学1年生でも習うことを我々男性は怠っていたのです。

 

深く、海よりも深く反省いたしました。もう、「私を召し上がれ」をして欲しいなどとは、口が裂けても言いません。

 

そんな産まれるときに股間から出てきたような、脳みそチンポ的な考えを今すぐ正します。

 

皆様も止めましょう。決して妻や恋人に「私を召し上がれ」して欲しいなどと要求してはいけません。その考えは異端です。なんなら別れを告げられる危険性もあります。

 

「女の身体に塗りたくったチョコを舐めとりてぇぜ、へっへっへ」という本音は心の奥底に封印し、「もはやチョコではなくてもいい。黒い何かを食べたいな♡」とでも言っておいて下さい。

 

決して、「私を召し上がれ」を期待してはならないのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

また、バレンタインデーで期待することは、もう1つありますよね。

 

そう。「裸エプロン」です。

 

女性が手作りチョコをキッチンで作るとなったらもう、全裸にエプロンのみという装備で登場して欲しいですよね。分かります。私も幼稚園年少の頃から裸エプロンにあこがれていました。男の夢です。

 

ただ私はやはり依然として裸エプロンの女性を見たことがない。森を歩いても海を泳いでもどうしてもエンカウントしないのです。

 

こんなにも裸エプロンを探求しているのに、見たことがあるのは漫画やドラマの中でだけ。なぜだ。なぜなんだ。ずっと理由を考えておりました。

 

この理由も連鎖的に分かりました。「私を召し上がれ」と同じです。

 

男で例えるなら、ふんどし一丁でチョコ作れと言われているようなものです。怖すぎる。何が狙いなのか検討もつきません。その悪夢のコラボレーションに需要があるという事実が、恐怖そのものです。

 

男性諸君はすみやかに裸エプロンという幻想を無くして下さい。むしろバレンタインデーは鎧を着てくるように言いましょう。自らの性欲から彼女を守る紳士的な男になるのです。

 

決して「裸エプロン」を期待してはならないのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

男の欲求はまだまだありますね。チョコ色の下着です。

 

バレンタイン=チョコ=下着もチョコ色という安直かつ直球の、エロ連想による欲求です。

 

なんだか男の馬鹿さ加減を長々と説明しているような気がして嫌になってきたのですが、チョコ色の下着なんて、バレンタイン以外で使い物になりません。

 

バレンタインならチョコ色だなと思われても、バレンタイン以外ではうんこ色です。ましてや下着です。もう漏らしていると勘違いされても言い訳できません。

 

結局チョコ色の下着なんて幻想です。彼女には透明な下着を着てくるように言いましょう。ぱっと見は全裸。これに勝るエロはないのです。

 

決して「チョコ色の下着」を期待してはならないのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

様々な考察を終えた今、バレンタインが「彼女が鎧と透明な下着を着て黒い何かを食べさせてくる日」になっています。何かを召喚するのでしょうか。13日の金曜日と同じくらい怖い日になりました。

 

バレンタイン恐怖症になりそうなのでここらへんで止めておきます。

 

それでは。

 

 

 

 

 

今週のお題「バレンタインデー」

鉛のようなリストバンドや鉛のような服より、鉛のように重いパンツを脱いで全裸で戦って欲しい

ドラゴンボールを久しぶりに読み返しました。あの登場人物が総じて金髪碧眼になる漫画です。

 

初めてドラゴンボールを読んだのは私が小学校の頃ですが、いつ読んでも純粋に面白いですね。友情努力勝利を地でいくTHE☆少年ジャンプな漫画です。修行し、敵と戦い、勝利し、敵が仲間になるという循環は見事と言わざるを得ません。

 

その修行の部分に関して、ドラゴンボールではスタンダードとも言える方法が確立されています。重いリストバンドや服を着用して生活することで実力の底上げを図る修行方法です。

 

主人公の悟空は非常にバラエティに富んだ荷重修行をしています。初期では亀仙人に重い甲羅を背負わされ、中盤ではリストバンドや靴を重くし、物語後半ではバーベルの重りを手首足首にはめています。また、かの有名なピッコロ大魔王も、服を重くするなどにより修行方法をパクっております。著作権侵害が心配されるところです。

 

この修行法は、普段あえて自分の肉体に負担をかけることで戦闘時に100%以上の力を出そうという論理的な手法です。この修行は何もドラゴンボールに限った話ではありません。あらゆる物語の主人公はこの手法を採用しています。リストバンドや服を重くしていない者は主人公では無いと言っても過言ではありません。

 

 

 

 

 

ただ、この手法を漫画で見る度に思うことがあります。なぜ主人公はパンツを重くすることで戦闘時のスピードのさらなる向上を図らないのか。です。

 

手首足首に重りを付けることは、腕や脚の筋肉を増強してパワーやスピードを上げようという意図は分かります。しかし、体幹をおろそかにしているとも言えるでしょう。

 

どんなスポーツでも、腕と脚の筋肉だけをひたすらに増強すれば勝てるわけではありません。腕ばかり鍛えた野球選手はバットのスイングスピードが上がっても体幹がないせいで安定しませんし、脚だけ丸太のようなサッカー選手は上半身の貧弱さにより激しい押し合いに競り負けます。筋肉もバランスが必要なのです。

 

よって、重りもバランスが必要になります。要するに、着る服を下着まで含めて重くすることがベストなのです。

 

 

 

 

 

しかし私は今まで勝負の時にパンツまで脱いだ主人公を見たことがありません。頑張ってもパンツ一丁まで。どうあがいてもフルチンにはならない。

 

 

 

 

私は悟空に言いたい。

 

妥協しているようじゃ最強なんてほど遠い。悟空は何をしてでも強くなってやるという気概を持っているはずじゃなかったのか。初心を忘れないでくれ。そのために、脱いでくれ。

 

頼むからパンツまで脱いだらオラ恥ずかしいなんて思わないでくれ。キャラクター崩壊も甚だしい。もう一度自分のキャラ設定を復習して欲しい。悟空の魅力は常識から外れていて、常人からしたら狂っていると思われても、「強くなりたい」という軸がぶれないことだったはずだ。

 

今更、全裸になって戦ったところで読者は誰も失望なんてしない。安心してくれ。初期にブルマに股間を見せつけた悟空ならできるはずだ。その股間の如意棒を戦いの時にも出してくれ。コメディとシリアスを混ぜ合わせてくれ。

 

 

 

 

 

そしてピッコロに言いたい。体幹に目を付けて服を重りにしたところまではいい。なぜ下着まで重くしなかった。

 

ピッコロは人一倍、というかナメック星人一倍、プライドが高い。でもそんなちゃちなものは悟空に負けた時点で粉々になったんだ。プライドを捨てて、強くなるために、パンツも脱いで欲しい。今のままじゃピッコロはプライドが高いけど実力が追いついていないイキリオタクと同じだ。

 

どうか、魔王の名誉を、取り戻してくれ。

 

 

 

 

 

 

そしてトランクスに言いたい。

 

はいているトランクスをさっさと重くしてくれ。トランクスという名前でトランクスをはいてないとは言わせないぞ。問答無用でトランクスを重くするトレーニングを始めてくれ。そして戦う時はトランクス一丁で戦ってくれ。圧倒的なピンチの時だけそのトランクスを脱いで全裸になることで覚醒してくれ。名は体を表せ。

 

 

 

 

 

 

そしてブルマに言いたい。ヤムチャを、忘れないでくれ。男の恋愛は名前を付けて保存なのだ。決してヤムチャとの思い出を、ベジータとの思い出で上書き保存しないでやってくれ。あと初期が一番可愛かった。

 

 

 

 

 

 

 

ついでにヤムチャに言いたい。狼牙風風拳では、人を殴りにくくはないだろうか。拳を握ってパンチをすることを、おすすめしたい。

 

 

 

 

 

 

 

そして

 

 

鳥山明先生に

 

 

言いたい。

 

 

 

 

 

 

 

この素晴らしい漫画を描いてくれて、ありがとう。

 

 

寒さ対策にはインナーとアウターどちらが正解なのか

寒空の下こんばんは。全裸愛好家の鍵泉です。

 

皆さん冬の寒さ対策はどうしてますか?

 

あ、寒さというのは、「気温が低いこと」を言います。もっと言うと、「外気温度が摂氏10℃を下回り、平均体温36℃の人間が外気と自らの体温の差に恐怖を感じる状態」です。

 

いかに恒温動物で趣味が体温調節である我々とて、寒さには対策をする必要があります。全裸愛好家の私でも、冬は服を着ます。

 

寒さ対策としては、アウターを着るかインナーを着るか、2つに1つだと思います。人類はアウター派とインナー派。2つの勢力に分かれるはずです。

 

 

 

 

私はずっとインナー派閥だったんですね。初めてヒートテックを着た時感動しました。人はヒートテックを着ることで初めて恒温動物になれると思いました。

 

何より、外にコートを着る必要が無い点もインナーの魅力です。最悪、ヒートテックを下に5枚着れば、まあ凍え死ぬことはない。その上見た目はコートに縛られず自由なこーでぃねーとをすることが出来るのです。

 

 

 

 

 

 

 

ただ、私はヒートテックを信用しすぎていました。盲信していたとも言える。ユニクロの聞こえのいい宣伝文句にほいほい釣られて、ヒートテックの弱点から目を背けていたのです。

 

それは、気軽に脱げないということ。

 

冬は、屋外は凍えるように寒く、屋内は暖房により暖かいです。インナーではこの温度差に対応することが出来ない。

 

例えば、ヒートテックを5枚着ているとしましょう。その上にシャツやカーディガン、コートなど着用しているとします。

 

これでは、屋外で適温だとしても、屋内に入った瞬間蒸発します。ヒートテックを5枚も来ているから、これを脱げば助かるかもしれませんが、脱ごうとしても脱いでいる最中に蒸発します。ヒートテックを5枚着ている時点で蒸発は免れません。

 

これが、ヒートテックの弱点です。

 

 

 

 

 

だからといって、アウターだけでは寒さ対策が充分ではありません。あいつは肌にぴったり張り付くようなフィット感が欠けています。やはり私は、ヒートテックに包まれたい。

 

 

 

 

 

 

 

そこで打開策を考えました。逆転の発想です。アウターを一番中に着る。またはインナーを一番外に着るのです。

 

今まではアウター、インナーという名称に沿った使い方をしていました。アウターは外、インナーは内に着ることが当然。ある種の常識でした。でも常識に捕らわれていては、解決出来ないこともあります。

 

アウターとインナーは陰と陽、光と闇、火と水のような、相反する存在でした。互いのメリットとデメリットが真反対で、人類はこの二者択一に悩まされました。

 

だからこその、インナーアウターとアウターインナーです。ハイブリッドで、2種族間の良いとこ取りな手法。

 

 

 

 

 

 

想像してみましょう。

 

いいですか。あなたは出かけるとします。デートでも友人との約束でもなんでもいいです。とにかく街へ繰り出す予定があるとします。

 

出かける時のファッションに悩みますね。どの組み合わせにしようか。どのパンツにしようか。小物はどうしようか。適当に決めていきます。

 

およそこーでぃねーとの方針が決まったら、まずは全裸になったあとにコートを着ます。肌に直でコートが触れるので初めは違和感があるかもしれませんが、すぐ慣れます。

 

コートの上にはシャツを着ます。コートを着たあなたは多少ボリューミーでしょうが、その上から何がなんでもシャツを着ます。ボタンがとぼうが布が破れようが、ギュウギュウとシャツに自分を押し込んでください。

 

そしてカーディガンやらなんやらを着ます。これに関しては私の先天性なオシャレ知識欠乏症が原因で、シャツの上に羽織るものがカーディガン以外思いつきませんでした。すみません。

 

この時点であなたはモコモコになっていると思います。コートが内部から服を押し上げていることを感じるでしょう。その圧力を抑えるように、最後にヒートテックを着ます。

 

モコモコをパッツンパッツンで締め付けます。袋を留めるゴムの役割です。これであなたはアウターとインナーのいいとこ取りができます。

 

 

 

 

 

 

 

perfect こーでぃねーとです。あなたはモコモコでパッツンパッツンのファッションモンスターになれます。

 

もはやどっちがアウターでどっちがインナーだか分からない。そこには上も下もない。みんな違ってみんな良い精神を、あなたはファッションを介することで表現しているのです。

 

あなたというパイオニアを先頭に、このインナーアウター逆転スタイルは原宿を始点として全世界に広がります。道行く人はみんな内にアウター、外にインナーを着ている。いずれアウターとインナーの名前も逆転するでしょう。

 

あなたは歴史を作ったとしてあるゆるメディアから引っ張りだこ。自伝も書き、印税で豪遊する日々が続きます。

 

時代の先駆者として名を馳せます。街ゆく人はみんなあなたを振り返り、自己顕示欲がこれでもかと満たされます。

 

 

 

 

 

 

 

 

そんな、ある日のこと。あなたは街で1人の男性に出会います。その男は、冬なのに上半身裸の海パンスタイルで街を闊歩し、悠々自適にあなたの目の前まで歩いて一言。

 

 

 

 

 

 

「まだ服なんて着ちゃってるの?」

 

 

 

 

 

 

それから彼は寒さに対する筋肉の有用性を語ります。三日三晩に及ぶその街角演説は圧倒的な説得力を持ち、その演説を聞いた人は我先にと服を脱ぎ始めます。

 

もう周りは全員全裸。街はまさにコンクリートジャングル。服という文明を捨てた猿たちが生まれたままの姿で歩き回っています。

 

もはやインナーアウターどころか、服を着ている人間はあなただけになります。文明人の唯一の生き残りとしてあなたは悟るのです。

 

 

 

 

筋肉こそが、寒さ対策の最適解なのだと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

はい。インナーとアウターどちらが正解なのか。この思考実験で分かりましたね。

 

筋肉です。

 

家中のインナーとアウターを古着屋に売り、そのお金でダンベルやバーベルを買いましょう。

 

そして冬が終わるまで部屋に篭もり、起きている時は常に筋トレを続けてください。

 

部屋から出てきた時、あなたは寒さを全く感じなくなっていることでしょう。